榊の芸術か狂気か?「人間標本」第2話の衝撃を振り返る。ネタバレあり。

ドラマ感想

※ネタバレ注意:ドラマ「人間標本」第2話では、榊の異常な芸術観と少年たちを「蝶」として見る視点がより鮮明になります。留置場のパイナップルのシーンから始まる彼の心の動き、るみの体調不良による合宿中止、そして息子・至を巡る謎――第3話への伏線も張られた衝撃の展開を振り返ります。

ドラマ「人間標本」第2話。ネタバレ感想。

冒頭のパイナップルシーンに込められた意味

第2話は、留置場で出されたお弁当のパイナップルを榊がじっと見つめるシーンから始まります。口に入れると吐き気を催す榊。

この冒頭の描写には、殺人を芸術と表現して自首した榊が、実は精神的に参っているのかと感じさせる導入でした。単なる食事の描写ではなく、榊の心理を表す効果があったと思われます。

榊の「第3の目」と少年たちの描写

鳴海とのやり取りでは、榊が「少年たちが蝶に見えた」と語ります。

るみの言葉を通して、少年たちは才能に溢れ輝く存在として描かれる一方、榊には背中に羽が生えているように見えました。

「今が一番いい時だよな」という独白からも、彼の中で少年たちは観察対象であり、芸術作品の素材であることが明確に示されます。

るみの体調不良と合宿中止

榊の計画は、るみの体調不良により大きく狂います。死んだ母親と同じ病気を持つるみは、しばらくアメリカに帰ることに。

合宿は中止となり、少年たちの後継者選びは延期されます。この時、少年たちは落胆し、榊も複雑な思いを抱きます。

榊の後継者としての自己評価

榊は「四限色の目は男性には遺伝しない」と知り、るみの世界を最も理解できるのは自分だと主張します。

「一ノ瀬るみの後継者に相応しいのは私だ」と笑みを浮かべる榊。

鳴海に嗜められるものの、彼は芸術家としての自分の欲望を正当化し、尊い命を犠牲にしても「作品」を完成させたいという狂気を見せます。

少年たちは蝶、標本としての対象

榊は少年たちに接触し、それぞれを「作品1〜5」として表現。少年たちは単なる人間ではなく、標本の素材として観察され、蝶の特性に当てはめられます。

「5頭の蝶の生態」という言葉からも、榊の視点が完全に人間を超えた「芸術対象」、「標本の素材」として少年たちに向けられていることがわかります。

作品へのこだわりと狂気

榊は、自分の行為を作品の完成過程と考え、殺人そのものには興味がない様子です。

「芸術とは歌や絵だけではない。これは私の芸術です」と語る彼の思想は、常軌を逸したものと言えるでしょう。

人を殺すことも、芸術の一部として正当化される彼の精神構造が浮き彫りになります。

息子・至の標本化と謎の終わり方

第2話では5体の少年の標本化が語られますが、榊の息子・至についてはまだ語られません。

榊は「殺すのは誰でもよかった」と言いつつ、

「古今東西どんな犯罪者でも自分の大切な人へ手をかけるのは珍しい。

私は、5体の標本を作った時点では、息子に手をかけようとは考えていませんでした。」

では、なぜ至を殺害しなければならなかったのか、その動機は何なのか?

その理由が次回以降の注目点です。

感想まとめ

第2話では、榊がパイナップルを食べた時に吐き気を催すシーンで人間的な一面を感じた、一方で、榊の異常性と芸術観、そして少年たちを「蝶」として見る視点が強調された回でした。

少年達を「5頭の蝶です。」と言い切る場面には、狂気を感じずにはいられませんでした。

彼の心理的な狂気、身勝手な自己正当化、そして息子・至を巡る謎

視聴者の興味を引きつけます。

第3話では、至の標本化の理由と榊のさらなる狂気の核心が描かれることが予想され、目が離せません。

第1話の感想はこちらから。

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