※この記事はドラマ『推しの殺人』最終回の内容を含みます。
「罪を犯した人間は、どう生き続ければいいのか」——『推しの殺人』は、その問いから最後まで逃げなかったドラマだった。救いは簡単に与えられない。過去も、罪も、なかったことにはならない。それでも前を向いて生きていくことはできるのか。最終回で描かれたベイビースターライトの選択は、派手ではないが、静かで誠実な答えだったと思う。
バラバラだった3人が「仲間」になるまで
物語の序盤、ベイビースターライトの3人は決して強い絆で結ばれていたわけではなかった。テルマは、センターのイズミが大嫌いだった。
そして、それぞれが過去を抱え、孤独の中で立っていた。
羽浦を殺害してしまった事件は、彼女たちの人生を取り返しのつかない形で変えた。だが同時に、恐れや後悔を共有することで、3人は初めて同じ場所に立つ。
疑うのではなく信じること。一人で抱え込まず、仲間として向き合うこと。事件を通して、3人は「アイドル」ではなく「支え合う存在」になっていった。
ルイと矢崎――同じ闇に立ちながら、違う道を選んだ2人
矢崎は言う。「ルイ、愛しているよ。愛しているから殺してあげる。」
その言葉は愛ではなく支配だった。相手の意思も未来も奪い、自分の物語に閉じ込めるための暴力だった。
一方でルイも、父親を殺したいほど憎んだ過去を持っている。それでも彼女は、殺さなかった。越えなかった一線が、矢崎との決定的な違いだった。
「もう誰も殺したくない。誰にも死んでほしくない」「私は、あなたとは違う」
この言葉は、矢崎への拒絶であり、同時に自分自身への誓いでもあった。
望月が示した「正しさの苦しさ」
望月は、正義を信じながらも、その正義が誰かを傷つけてしまう現実に苦しんだ人物だった。
ルイを守るために刑事になったのに、捜査を続けることで彼女を追い詰めてしまう。
「正しいことをするのに、迷うようになったからです」という言葉は、彼のすべてを表している。
「大事な人が犯罪を犯していたらどうしますか?」望月は先輩刑事にこう尋ねる。
「罪を犯してそのままっていうのも辛いものらしいぞ。捕まえてやることも優しさじゃないか。」
望月は、刑事であり続けることを選び、最後に矢崎を捕まえる。
そして、罪を犯した最愛の人、ルイに向き合い、その罪を償わせることを決心したようだった。
解散ライブ――罪を抱えたまま歌うという選択
火災で中断されかけた解散ライブ。それでもファンの声援に背中を押され、3人はステージに立つ。
「私たち3人は、ある大きな罪を犯してしまいました」
その告白から始まる歌は、許しを乞うものではなかった。贖罪であり、それでも生きていくという意思表明だった。
人生はままならない。起きてしまったことは、どうにもならない。
それでも、前を向いて歩いていければいい。歌が終わり、物語は静かに幕を下ろす。
まとめ
『推しの殺人』は、「罪を犯したら終わり」という単純な結論を拒み続けたドラマだった。
憎む相手を殺さなかったこと。仲間を選んだこと。逃げずに生き続けること。
それらは美談ではなく、苦しみ続ける覚悟でもある。救われすぎない。
でも、絶望だけでもない。静かで、とても誠実なラストだったと思う。
第12話の感想はこちらです。

