【ネタバレあり】ドラマ「良いこと悪いこと」最終回感想|今國の言葉と、選ばれる未来

2025年ドラマ

※この記事は、ドラマ「良いこと悪いこと」最終回の内容を含む感想・考察です。未視聴の方はご注意ください。

宇都見の共犯者は、今國と東雲だった

最終回で明かされた、宇都見の共犯者。
それは今國と東雲だった。

2人は紫苑と同じフリースクールに通っていた友達。
単なる協力関係ではなく、同じ時間と痛みを共有してきた存在だった。

復讐劇では終わらなかった理由

この事実が明かされたことで、物語は単なる復讐劇ではなく、
「失われた人生にどう向き合うのか」という物語へと姿を変えていった。

紫苑が語った夢が、2人の人生を支えていた

フリースクールで出会った3人。
紫苑が語った「ピアニストになりたい」という夢は、今國と東雲にとっても希望だった。

夢を語ってもいいと思えた時間

自分たちも未来を思い描いていい。
夢を語っていい。

紫苑の言葉は、2人の人生を前に進める力になっていた。

だからこそ、大人になり、
紫苑が夢を叶えたことを3人で祝っていた時間は、
あまりにも尊く、同時に切なさを伴って胸に残る。

今國の店に重なる、幸せだった記憶

紫苑は宇都見と知り合い、今國の店へと連れてきた。
そして、プロポーズが行われた場所も今國の店だった。

居場所だったはずの場所

この店は、紫苑にとって安心できる居場所であり、
今國と東雲にとっては、過去と未来をつなぐ大切な場所だった。

その場所が、やがて復讐の舞台になってしまうことが、
この物語の残酷さを静かに物語っている。

紫苑を追い詰めた、消えない過去

紫苑が自殺に追い込まれたきっかけは、
キングがピアノ教室を訪れたことだった。

終わっていなかった「いじめ」

過去のいじめは、終わっていなかった。
加害者にとっては何気ない行動でも、
被害者にとっては、心を再び壊す引き金になる。

この描写は派手ではない。
だからこそ、現実と重なり、重く心に残った。

今國の言葉が突きつけた、いじめという問題

最終回で最も強く印象に残ったのは、
今國がキングに向けて放った言葉だった。

いじめは人殺しと変わらない。
お前は変わらないんだよ。
いじめられた被害者が死んだら名前は出るけど、
加害者はなんで出ないんだよ。
いじめは犯罪として裁かれなきゃならないんだよ。

紫苑の声を代弁する叫び

これは、今國自身の言葉だ。
視聴者に向けた説教ではなく、
紫苑の声を代弁する叫びのように聞こえた。

なぜ、ここまで言わせてしまったのか。
なぜ、救われなかったのか。

キングが語った「自分で選ぶ」という言葉

一方でキングは、
良いことか悪いことかを他人に決められるのではなく、
自分で考え、良いことを選んでいきたいと語っていた。

変わろうとする意思は、意味を持つのか

この言葉は、過去を清算するものではない。
紫苑にしてきたことが消えるわけでもない。

それでも、「自分で考え、選ぶ」という言葉が、
この物語にもう一つの視点を与えていた。

復讐は正義ではない。それでも残ったもの

紫苑の死をきっかけに始まった、3人の復讐。
それは決して正義ではなく、肯定されるものでもない。

裁く前に、向き合うべきもの

それでもこのドラマは、
「なぜ彼らが、そこまで追い詰められたのか」を
最後まで描くことをやめなかった。

向き合うべきものがあったのではないか
そんな問いが、静かに残る。

最後のカットが示した、もう一つの「選択」

物語の最後は、静かなカットで締めくくられた。

キングの娘・花音が倉庫に閉じ込められている。
声だけしかわからないが、そこへ現れたのはどうやら男の子で扉を開けてあげたようだ。
その場面で、ドラマは終わる。

扉を開ける側であるということ

この先、何が起きるのか。
続きはHuluを見なければ分からない。

「誰かを閉じ込める側」ではなく、「扉を開ける側」を選ぶ存在が描かれたことが、
このラストの一番の意味だったように思う。

「良いこと」と「悪いこと」は、誰が決めるのか

タイトルが問い続けてきた「良いこと」と「悪いこと」。
最終回は、その境界線がどれほど曖昧で、残酷なものかを描いて終わった。

答えは示されない。
ただ、選ぶのは次の世代であり、今を生きる私たちなのだと、
静かに示して物語は幕を閉じた。

前回(第9話)の感想はこちらです。

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